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>ID/パスワードを忘れた方はこちらから戦争から70年。戦争経験のない現代の学生が遺骨収集活動を通じて戦争や平和と向き合っていくことを目的に、2015年2月6日から13日まで沖縄県にて戦没者の遺骨収集活動が行われました。
2月6日夜、東西から隊員131名、事務局員1名全員が宿舎に揃い、結団式が行われました。そこでは遺骨収集において必要な知識を身につけるため、骨格概要のテストなどを行い、これからの活動へ備えました。
翌7日、ひめゆりの塔と平和祈念公園の資料館を訪れました。戦争の実体に触れる中である隊員は「生存者の方の証言で、友人を亡くし自分だけが生きていることに罪悪感があったが、最終的にはこの悲惨な体験を伝えて行くために生かされていると感じている、という言葉がとても印象深かった」と語っていました。
その後宿舎にて、今回の遺骨収集にてお世話になる国吉勇さんと浜田哲二さん律子さん夫妻からお話をいただき、最後に第2回勉強会を行いました。活動の背景や意義をより深く理解した一日となりました。
8日、当時の野戦病院豪跡にて、白梅学徒隊として動員された中山きくさんのお話をお聞きしました。中山さんは50年もの間、白梅学徒隊として動員されたことに口を閉ざしておられたことなどを話してくださり、戦争という残酷な出来事の重さを感じる機会となりました。また「考えているだけではだめ。実際に行動しなければ」という言葉に多くの隊員が心動かされた様子でした。
その後慰霊碑白梅之塔に向かい、戦没者への献花を行った後、近くの壕にて遺骨収集を開始しました。その日の現場での活動時間は短かったですが、ご遺骨や手榴弾などを多数発見できました。
9日から11日にかけては、糸満市の喜屋武福地周辺の現場にて作業をしました。地主である宮城さんによるとこの場所は海からも空からも陸からも攻撃を受けた所であり、戦時中自らはここを去ったため命を落とさずにすんだが、ここに留まった父らは自決をした可能性があり、70年の年月を越えて遺骨をお迎えするとのお話をいただきました。
それを聞いたある隊員は「本当は、宮城さんは悲しい戦争の話をしたくないと思います。私だったら、過去の辛い経験を話すことはしたくはないです。また、本当に話したことを感じてくれているのかも不安に思うと思います。なので、もっと感謝の気持ちを持って聞くというのが重要だと思いました」と話していました。現場は地上にある塹壕や地中のトーチカと呼ばれる穴など複数の場所に分かれ、壕を塞ぐ大きい岩を退け、周りに繁っている木を伐るなどの作業が行われました。
11日の午後2時前、4日間に及ぶ今回の遺骨収集作業を終了しました。その後各現場から集まったご遺骨を整理し、隊員一人一人の手で納骨袋へ移しました。今回の活動によって集まったご遺骨は推定20柱(人)とみられます。またハーモニカや個人名を特定できる印鑑など様々な遺留品も発掘されました。
活動中お世話になった浜田さんからは「何回も言うけど君たちが来てくれなかったらこの人たちは帰ってくることはできなかった。本当にありがとう」とおっしゃっていただき、感極まった隊員もいました。
翌12日、平和祈念公園にて慰霊式典が行われました。独特の緊張感の中、戦没者への追悼の意をこめ黙祷と献花がなされました。
その後、うるま市にて現代版組踊「肝高の阿麻和利」を鑑賞しました。これはうるま市の中高校生が出演している組踊で、勝連城10代目城主だった阿麻和利の半生を描いたものです。「すごいと思った。一つのことに向かって元気に明るく真剣に取り組んでいる姿がIVUSAと被る。中高生でここまで、物事に真剣に向き合えるのが羨ましい」とある隊員は語り、なかには涙するものもいました。
最終日の13日、全員で一週間お世話になった宿舎の清掃を行った後、解団式を行い、活動リーダーらが挨拶をして今回の活動は締めくくられました。宿舎を発ち那覇空港に到着後、隊員全員がそれぞれ帰路へと着きました。
今回の遺骨収集や平和資料館での学習、戦争体験者のお話などを通じて、隊員は戦争の中に生きる人の気持ちに迫り、戦争と平和についてひたすらと考えました。その先には「伝える」というもう一つの活動があります。これからは一人ひとりが知り得たことを学び活かし「担い手」として、もう二度と戦争を起こさないよう未来へ努力をし、人の命が大切にされる社会の実現を願いました。(国士舘大学2年 山口 敬祐)
【プロジェクトリーダーより】
現代の日本人の大半が、終戦から70年経ってもご遺骨が全て収容されていない事実を知らない。それに触れる機会がない。戦争経験者が減少している中、この活動を機に私たち学生が現代・後世に戦争の悲惨さを伝え、一学生、一日本人として、これからの「未来」をどのように作るのかを考え、行動で示していくべきと思いました。また、自分が守りたい、守るべきものが何かを明確にし、隊員132人が考える理想の社会へ向け、全力で今を生きようと決意しました。(法政大学4年 木金 孝雄)